2020年12月の格言

令和2年11月の格言は

 

優れた社長は、部門業績の不振は自らの責任として反省し、
業績向上を必死で考える。
ボンクラ社長は、部門の長の責任として、
これを責め、自らは必死で考えようとしない。

 

 

「部門の業績は、その部門の長の責任である」という考え方は全くの誤りで、
見当違いもはなはだしい。というより、社長の責任回避以外の何ものでもないのだ。
優れた社長は、部門業績の不振は自らの責任として反省し、業績向上を必死で考える。
ボンクラ社長は、部門の長の責任として、これを責め、自らは真剣に考えようとしない。
考えてみていただきたい。
部門の長に自らの意思でいったい何が決められるというのだ。
その部門の事業も、商品構成も、価格も、人的資源の数も、テリトリーも、
そして事業方針自体、基本的に社長が決めているのだ。
いや「自由にやらせているから」という人がいるかも知れないが、
その自由とはすべて右のような枠組みの中での活動の自由なのだ。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年11月の格言

令和2年11月の格言は

 

「若い」ということは抜擢をためらう理由ではなく、
抜擢を決める理由である。

 

 

実力は年齢とは関係ないのだ。
「また若い」というのは経験が浅いという意味であることは分かるが、
優秀なやつは一年の経験で、普通の人間の三年も五年もの経験、
いや十年もの経験と同じことをチャンと学びとっているものだ。
それでも人間的に錬れがたりないというかも知れないが、
それを補って余りある若さと情熱と馬力があることを忘れないでもらいたいのである。
若さの持つ強みを早く活かしてこそ、優秀な人間は、さらに精彩を放つものである。
「若い」ということは抜擢をためらう理由ではなくて、
抜擢を決める理由であることを忘れないでもらいたいのである。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年10月の格言

令和2年10月の格言は

 

人材の下には人材が隠れていても育たない。

 

 

人材は、優秀なるが故にその部門をすべてうまく切り廻す。
それはそれで結構だが、だからといって、
便宜主義でいつまでも一つの部門に止めておくと、
その人材のみならず、その人材が上にいるために、
あたら伸びるべき新人の芽まで摘んでしまうという二重の損害を、
これまた誰も知らぬ間に受けてしまうことになるのである。
人材の下には人材がかくれていても育たないことを知るべきである。
さあ、こうなったら、もう社長は人事異動をためらうべきではない。
異動当座の僅かな仕事の停滞など恐れてはいけない。
「一文惜しみの百文失い」にならぬよう、人事異動を行うべきである。
異動のための障害や制約条件などは、決意さえあれば、どうにでもなるのだ。
躊躇せずに踏み切るべきである。
適性がどうだとか、経験がどうだとか、あとが困るとかいっていたら、何も出来ないのだ。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年9月の格言

令和2年9月の格言は

 

社長が社内にいる限り、管理職は育たない。

 

 

社長が会社の中にいるということは、
いかに管理職を信頼していないかを、言外に示しているのである。
ちょっとでも社長の意にそわないことをしようものなら、「なぜ社長の了解なしにやったのか」と言われるにきまっている。
だから、社長にお伺いをたてる。このほうが楽だし、責任を追及されないからである。
こんな状態で管理職が育つはずがない。
「いつまでたっても世話をやかせる」
「うちにはどうして人材が育たないのか」
という社長の悩みは、社長自身がその原因なのである。
社長が社内にいる限り、人材は育たないのである。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年8月の格言

令和2年8月の格言は

 

社長は、ムリを承知で社員に頼め。

 

 

社員というものは、何か命ぜられると、二言目には「できません」と言う人種である。
これに負けたら、企業間競争に負けるのだ。あくまでも要求し続けなければならないのである。
この時に、気をつけなければならないので「できません」と言われた時に
「そんなことはない、できる筈だ」と言ってはならないということである。
できるかできないかは主観の問題であって、勝負は絶対につかないのだ。
社員は「できない」と思っているのに「できる筈だ」と言っても始まらないのである。
社員が「できない」というのは、実は責任逃れの伏線なのである。
つまり、社長に命ぜられたことがもしできなかった時に
「だから、あの時できないと申しあげた筈です」と言うためである。
だから初めての時には「できるかできないか、やってみないければ分からないではないか」
という説得が肝要である。
もしも、以前に試してみてできなかったことをやらせる時には
「もう一度新しい工夫をしてみよ」と言ってやらせるのである。
もう一つ、社員が社長の指令をはねつける伝家の宝刀がある。
それは「ムリですよ」という言葉である。
これに対して「ムリではない」と言うのは、明らかに社長の負けである。
ムリかムリでないかは完全に水掛け論であって、決着は絶対につかないからである。
社員は、伝家の宝刀を引き抜いて身構えているのだから、
まずこの宝刀を叩き落さなければならない。
これは意外と簡単である。「そうだ、社長もムリと思う」と言えばよい。
社員の主張を社長が認めてしまえば、社員はもう何も言うことがなくなるのだ。
宝刀を叩き落したら、こちらから切り込むのである。
「社長もムリを承知で頼むのだ。やってくれ」と。
これで完全に社長の勝ちである。
社長に無理を承知で頼まれたら、もう何も言わずにやってみる外はないのだ。
社員が「ムリですよ」と言うのは、これまた、できなかった時の予防線なのである。
それを「ムリではない」と言えば、
これは「できて当たり前、できなければボンクラだ」と言っているのに等しいのである。
これでは、社員はたまったものではない。「ムリだ」という主張を変える筈がないのだ。
「ムリだ」と社長が認める時には、できなくて当たり前、できたら手柄になるのである。
ここのところの「理屈」というよりは「心理」というものを知っていることが大切なのである。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年7月の格言

令和2年7月の格言は

 

口頭による指令は忘れられ、
文章による指令は守られる。

 

 

 口頭というのは、もともとあやふやなものである。
そのあやふやな口頭で社長の大切な指令が出されるというのは、
一体どういうことなのだろうか。
社長自身が、口頭の指令ではそれが的確に実施されないことを
イヤというほど思い知らされているのに、それを改めないというのは、
「社長の指令は的確に行われなくともよい」と、社長自身で思っているからだ、
と皮肉りたくもなるのである。
本当のところ「口頭指令は独り言にしか過ぎない」ことを知ってもらいたいのである。
私は声を大にして「指令メモ」を書くように社長にお勧めするのである。
メモを書くことなど簡単なものなら数秒で済むし、一分以上かかることなど滅多にない。
社長が自らの指令を的確に行わせるためには、
「指令は絶対に書いて行う」ことをやらなければならないのである。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年6月の格言

令和2年6月の格言は

 

仕事の管理は、高度な管理や
きめ細かい管理ではなくて、
「最小限管理」が正しい。

 

 

 管理とは、会社の内部の繰り返し仕事だけを対象にしたものである。
仕事というものは事業経営に必要であっても、事業経営ではないのだ。…
 管理というものは、仕事を円滑に運ぶためには役に立つけれども、
その反面に必ず「費用」を生むのだ。
費用を上回るなんらかの成果が上がってはじめて「管理」は意味がある。…
 事業経営の要請からすれば、できれば「仕事の管理」は、しないで済ませたいのだ。
管理費がかからないからである。
しかし、現実の問題として管理しないためのロスが発生するので、ロスの減少より少ない費用で管理できる場合に限って、管理したほうが有利なのである。
 当然のこととして、高度な管理や、きめの細かい管理ではなくて
「最小限管理」でなければならないのである。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年5月の格言

令和2年5月の格言は

 

「責任範囲の明確化」自体が、
無責任社員をつくりだす。

 

 

組織論者は、責任の範囲を明らかにしないから仕事がうまく行われないのだと思いこんでいる。
これは全くの見当違いであって、責任の範囲を明確にすると
「それ以外のことには責任がない」ととるのが人間というものなのだ。
他の部門がいくら忙しくとも、他人の仕事がいくら忙しくとも、
それは、「自分の責任の範囲外のことである」として、
「われ関せず」ということになってしまうのである。
こうして人々は自分の部門のこと、自分の仕事だけしか考えなくなり、
会社の業績をあげようという意識などなくなってしまう。
ましてや「お客様にサービスをする」という企業本来の役割を果たすことなど
考えても見なくなってしまう。
・・・会社の業績を落とし、人々の魂を腐らせてゆくという、
大きな罪悪を犯すものが「責任範囲明確化論」なのである。

 

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年4月の格言

令和2年4月の格言は

 

企業内に良好な人間関係が
維持されているということは、
革新が行われていない実証である。

 

 

企業は外部の変化に合わせて、常に自らを変えてゆかなければ生きていけない。
たえず自らを変えるということは、生やさしいことではない。
これを行うときには、必ずといってよい程、内部の抵抗があり、摩擦が発生するのだ。
摩擦がないような内部の変更は革新ではない。
これから成果の増大を期待することなどきない相談である。
優れた革新ほど批判や摩擦が多く、人々を苦しませるものなのだ。・・・
逆説的にこれを言うならば、企業体内に良好な人間関係が維持されているということは、
その企業体において革新が行われていない実証である。
ということは、生き残るために死にもの狂いの努力がないことであり、
企業が倒産に向かって、バク進している姿そのものなのである。

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より



2020年3月の格言

令和2年3月の格言は

 

よい組織とは
優れた顧客サービスができ
競合他社と戦って勝てる組織である

 

 

よい組織を定義づけてみると、
それは「優れて業績をあげられる組織」という他にはない。
そして優れた業績をあげられる組織の実態は二つしかない。
優れた顧客サービスができる組織と競合他社と戦って勝てる組織である。
正しい組織原理の根幹をなすものは、
「変化に対応する」企業の特性を踏まえたものであることはいうまでもない。
しかもそれは企業の二面性-一つは「顧客の要求を満たす」という
企業本来の任務を果たすための「サービス集団」であり
もう一つは競合他社と戦って勝たなくてはならないという
生き残るための「戦闘集団」という二つの面を
兼ね備えていなければならないのだ。
組織の長である社長は、
右の二面性を踏まえた上で組織を指導し、
運営していかなければならない。

一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より