2020.08.01荒金格言
2020年8月の格言
令和2年8月の格言は
社長は、ムリを承知で社員に頼め。
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社員というものは、何か命ぜられると、二言目には「できません」と言う人種である。
これに負けたら、企業間競争に負けるのだ。あくまでも要求し続けなければならないのである。
この時に、気をつけなければならないので「できません」と言われた時に
「そんなことはない、できる筈だ」と言ってはならないということである。
できるかできないかは主観の問題であって、勝負は絶対につかないのだ。
社員は「できない」と思っているのに「できる筈だ」と言っても始まらないのである。
社員が「できない」というのは、実は責任逃れの伏線なのである。
つまり、社長に命ぜられたことがもしできなかった時に
「だから、あの時できないと申しあげた筈です」と言うためである。
だから初めての時には「できるかできないか、やってみないければ分からないではないか」
という説得が肝要である。
もしも、以前に試してみてできなかったことをやらせる時には
「もう一度新しい工夫をしてみよ」と言ってやらせるのである。
もう一つ、社員が社長の指令をはねつける伝家の宝刀がある。
それは「ムリですよ」という言葉である。
これに対して「ムリではない」と言うのは、明らかに社長の負けである。
ムリかムリでないかは完全に水掛け論であって、決着は絶対につかないからである。
社員は、伝家の宝刀を引き抜いて身構えているのだから、
まずこの宝刀を叩き落さなければならない。
これは意外と簡単である。「そうだ、社長もムリと思う」と言えばよい。
社員の主張を社長が認めてしまえば、社員はもう何も言うことがなくなるのだ。
宝刀を叩き落したら、こちらから切り込むのである。
「社長もムリを承知で頼むのだ。やってくれ」と。
これで完全に社長の勝ちである。
社長に無理を承知で頼まれたら、もう何も言わずにやってみる外はないのだ。
社員が「ムリですよ」と言うのは、これまた、できなかった時の予防線なのである。
それを「ムリではない」と言えば、
これは「できて当たり前、できなければボンクラだ」と言っているのに等しいのである。
これでは、社員はたまったものではない。「ムリだ」という主張を変える筈がないのだ。
「ムリだ」と社長が認める時には、できなくて当たり前、できたら手柄になるのである。
ここのところの「理屈」というよりは「心理」というものを知っていることが大切なのである。
これに負けたら、企業間競争に負けるのだ。あくまでも要求し続けなければならないのである。
この時に、気をつけなければならないので「できません」と言われた時に
「そんなことはない、できる筈だ」と言ってはならないということである。
できるかできないかは主観の問題であって、勝負は絶対につかないのだ。
社員は「できない」と思っているのに「できる筈だ」と言っても始まらないのである。
社員が「できない」というのは、実は責任逃れの伏線なのである。
つまり、社長に命ぜられたことがもしできなかった時に
「だから、あの時できないと申しあげた筈です」と言うためである。
だから初めての時には「できるかできないか、やってみないければ分からないではないか」
という説得が肝要である。
もしも、以前に試してみてできなかったことをやらせる時には
「もう一度新しい工夫をしてみよ」と言ってやらせるのである。
もう一つ、社員が社長の指令をはねつける伝家の宝刀がある。
それは「ムリですよ」という言葉である。
これに対して「ムリではない」と言うのは、明らかに社長の負けである。
ムリかムリでないかは完全に水掛け論であって、決着は絶対につかないからである。
社員は、伝家の宝刀を引き抜いて身構えているのだから、
まずこの宝刀を叩き落さなければならない。
これは意外と簡単である。「そうだ、社長もムリと思う」と言えばよい。
社員の主張を社長が認めてしまえば、社員はもう何も言うことがなくなるのだ。
宝刀を叩き落したら、こちらから切り込むのである。
「社長もムリを承知で頼むのだ。やってくれ」と。
これで完全に社長の勝ちである。
社長に無理を承知で頼まれたら、もう何も言わずにやってみる外はないのだ。
社員が「ムリですよ」と言うのは、これまた、できなかった時の予防線なのである。
それを「ムリではない」と言えば、
これは「できて当たり前、できなければボンクラだ」と言っているのに等しいのである。
これでは、社員はたまったものではない。「ムリだ」という主張を変える筈がないのだ。
「ムリだ」と社長が認める時には、できなくて当たり前、できたら手柄になるのである。
ここのところの「理屈」というよりは「心理」というものを知っていることが大切なのである。
一倉定先生著「一倉定の経営心得」組織と人より